スタードロップ

プロローグ
 午前中の講義を終え、昼食を取るために部室にやってきたら先客がいた。
「ねえ、知ってる? 星座って13個あるんだよ」
 そいつは開口一番、突拍子もないことを言ってきた。物知りお嬢様、中里晴香(なかさとはるか)だ。
「なんだよ、星座が13個って」
 俺、高丘優一(たかおかゆういち)は、弁当箱を取り出しながら返す。
「知りたい? 知りたいんだね! よし、私が星座の知識を授けてしんぜよう」
 晴香は持っていた箸をビシッと俺に突きつけた。
「あー、はいはい」
「むー、そっけないなぁ」
 晴香の箸をかわして、机の上に弁当を広げた。今日の昼飯は、唐揚げとポテトサラダと鮭、そして暖かいご飯。
「でねでね、星座って13個もあるんだよ? 驚きでしょ?」
「うん、うまい」
 俺はまず、唐揚げから頬張った。口の中で油の濃厚な味が広がっていく。
「って、ちょっとっ、聞いてるのっ!? 天文部の一員として、星座の知識くらいは持ってないとだめだよ」
 そう、俺たちは天文部のメンバーであり、よくこうしておしゃべりをしているのだ。
 天文部の活動といえば、月に数回学校の屋上に出て、星を眺めるくらいだ。しかし、俺は別段、星が好きというわけでもなかった。
「なあ、何度も言うが、俺は星が好きでこの部に入ったわけじゃ……」
「あ、部長さんっ」
 俺が抗議の言葉を言い終わる前に、運悪く来客だった。
「やあやあ、元気にしてるかーい?」
 そういって部室へ入ってきたのは、天文部部長の時風紅(ときかぜこう)だ。
 俺が天文部へ入ったきっかけは、この大学に入学してまもなくのことだった。
 ある日の昼休み。いつも通り木陰のベンチでのんびり昼食をとっていた時のことだ。
「君、一人か?」
 突然、目の前に現れた青年は唐突にそんなことを切りだしてきた。
「え、まあそうですけど……」
 当然俺はいぶかしんだ。周りには昼食をとりに行く学生や、講義が終わって帰ろうとする学生がちらほらといる。強請りとかそういうんじゃないと良いけど……
「ああ、そんなに警戒しないでくれ。私は君を、我が天文部に勧誘にきたんだ」
「は?」
 突然何を言い出すんだ? 確かに俺は部とかサークルとかそういうのには興味がなかったから入ってはいない。これは失礼にならないように、丁重にお断りしよう。そうしよう。
「えーっと、申し訳ないのですが、私はそういうのに興味がなくて……」
「ああ、それは存じているよ、高丘優一君」
 ちょっと待て。何で俺の名前を知ってるんだ? 俺はこの人の顔に覚えが無いぞ。俺はこの人に何を言っていいやら分からず、口をパクパクとさせるしかなかった。
「ふふ、君の名前を何故私が知っているか、気になるだろう?」
 気にならないと言えば嘘になる。しかし、ここで気になるなんて言ってしまえば、何やら変なことに巻き込まれかねない。
「いえ、それより、どうして俺を勧誘したんですか?」
「ここでは何だから、部室にでも来ると良い」
 しまった。早いところ逃げてしまうべきだった。とは言っても、片手に弁当、片手に箸ではどうしようもないわけだが……
「あの、俺このあとまだ講義があって、課題が――」
「君は、この後しばらくは何もなかったはずだが?」
「なっ!」
 こいつは俺の行動全てを知っているとでもいうのか? まるでストーカー……いやでも男同士だし、さすがにそれはないか。
「ふふ、君はもう私からは逃げれんよ」
 そういって青年は不敵な笑みを浮かべた。
「今日も元気がいいね、晴香君は」
 そういって昼の部室へとやってきたのは、我が天文部の部長……あのときの青年だ。
 この人の名前を聞いた時、まるで歴史の教科書にでも出てきそうな名前だと思った。それは今も変わらない。
「そして優一君。 天文部に入ったからには星座くらいの知識は知っていてもらわないと」
「ほらねっ、私の言った通りじゃん」
 晴香が勝ち誇ったように言う。2対1は卑怯だ。
「あーもう、分かりましたよ、ちゃんと勉強しますよ」
「よろしい。やはり優一君は素直だな」
 くそう。覚えてろ。
 俺は唐揚げをほおばりながら、窓の外を眺めた。雲ひとつない快晴。
 今日の夜は星がきれいに見えそうだ。


 天文部が発足したのは、もう何年も前らしい。
 当時数人しかいなかった部員も、今ではそこそこ増えたとか。それでもたったの5人しかいないわけだが。
「で、部長はまだ来ないの?」
 本日最後の講義が終わり、俺は部室に足を運んだ。今日は部会をやると言っていた部長は、すでに15分の遅刻だ。
「しょうがないよ、部長さんは忙しいし」
 部室には晴香と俺しかいなかった。
 手持無沙汰だが、特に会話もなかった。沈黙と時間だけが流れていく。残りの2人も今日は用があるとかで帰ってしまっている。
 いいかげん沈黙に耐えられなくなってきた頃、ようやく部長が現れた。
「やあ、待たせたね」
「部長、30分も遅刻ですよ」
「済まないな2人とも、予想以上に用事が長引いてしまってな」
「部長さん、そんなに遅れる用事って何なんですか?」
「……それは内緒だ」
 まあ、この答えは予想の範疇だ。部長の行動を把握している人なんて少なくともこの学校にはいないだろう。大抵、予定が長引く用事のことについては俺たちには話してくれない。
「それはさておき、部会を始めようか」
 そろそろ、どんな用事なのか問い詰めてみたい気もするが、どうでもよさそうなことだったりする可能性のほうが大きすぎて、聞くに聞けない。変なことに巻き込まれるのも嫌だし。
「さて、今日は天気も良く星がきれいに見えるので観測会をやろうと思う」
「唐突ですね」
「思いついたら実行だ。何か異論のある者は?」
 とはいっても2人しかいないんじゃ、異論の上がりようもないだろう。
「では早速準備して行こうか」
 俺は一人暮らしだから夜遅くなっても問題ない。
 晴香は、
「親に遅くなるとメールを入れておけば大丈夫っ」
だそうだ。
 部長は……親がいようがいまいが、そんなこと関係なさそうだ。
 俺たちは部長の車に乗って、珍しく学校から少し離れた山へ向かった。夜の山は真っ暗で、幽霊でも出そうなくらいだ。
「わぁ、きれーい」
 車から降りた俺たちを迎えたのは、満天の星空だった。
 いや、満天の星空だけじゃなかった。季節は冬。冷たい空気が俺を迎える。
「部長さんっ、あれって御者座ですよね?」
 早速、晴香と部長は盛り上がっているようだ。俺にはただの点にしか見えないが、晴香や部長には線が見えるらしい。
 それでも、視界いっぱいに広がる星空は壮観だ。
「それにしても寒い」
「修業が足らんな、優一君は」
 余計な御世話だ。
「ん?」
 ふと、視界の隅にちかちかと瞬く星が入った。他の星に比べて一際明るい。俺は何だか気になって部長に聞いてみることにした。
「部長、あれは何て星なんですか?」
「ん、あれは……」
 俺が指さした方を見て、珍しく部長が言い淀んだ。
「シリウス? でもなんか違いますよね?」
 天文オタクの晴香までもが食いついてきて不思議そうに眺めている。
「あれ? なんかさっきよりも明るくなってません?」
 俺が部長を振り返った時、部長の顔は喜々としていて、
「――――!」
 ごうっという音で、部長が何と言ったか聞き取れなかった。ただ、頭上をものすごい勢いで閃光が走っていくのだけは見えた。そして、地面やら空気やらありとあらゆるものが震えた。呆然と突っ立っていたら、突然やってきた暴風で俺は吹っ飛ばされた。
「うわぁっ」
 そのまま体を地面にしたたかに打ちつけて、少し息が詰まる。
「優一君、晴香君を頼んだぞ」
「きゃっ」
 起き上がろうとしたところに追い打ちが来た。
「ぐえっ」
 蛙みたいな変な声を出して、俺は晴香を受け止めた、が。
 目から星が飛び出した。
「ち、ちょっと、優一君っ、しっかりしてっ」
 俺の意識はブラックホールに吸い込まれるみたいに、暗闇へと落ちていった。

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